写真という言語 #2020年秋の美術・芸術 パレスチナ写真家として
#2020年秋の美術・芸術 にギリギリ!参加しております。参加したいと思ったものの、一体何を書いたらいいのだろか?と思うこの数日、締め切り日になってしまったので、コンテストの求める作品”楽しく語れる”に注力しつつ美術芸術を実行する者として思ったことを綴りたいと思う。
芸術の中の写真なのか、写真とは何か?美術の術とは、芸術の術とは?このコンテストを知って考えてみた。
美しさを以って、芸を以って伝える術(すべ)それが美術・芸術、アートなのかもしれない。そうだ!伝えるということなのだ!!
2019年は(音楽を含む)アートと抵抗というテーマを掲げていた。アート、芸術美術の主張性と力強さと可能性をフィールドで感じたからだった。
2020年、自身の作品では初の試みで組み写真を展示した。パレスチナの音楽フェスをテーマに。
限られたスペースで伝えたいことを凝縮させる、しかもテーマに沿って。
短歌を思い出した。
1つの言葉に幾重の意味を持たせ季節の風を吹かせる。
写真という枠、ファインダーの内側は限りではあるが、深さには限りがない。
不自由の中の自由
この限りがある中で伝えたいことを詰め込むことになる。不自由だからこそ、工夫・趣向を凝らし単なる事実から物語へ昇華していく。

芸術なのかジャーナリズムなのかメディア論なのか。その真髄はやはり”伝える”こと。やっぱりわたしは伝えたいんだ。
ここに人が生まれ息をしている、生きている。その事実を残したい。それがわたしにとっての写真という芸術なのだ。目の前にわたしは立っているのだということ。その証を残し伝える。
写真展のお知らせを知人にすると必ずと言っていいほど言われる言葉
行くけど、アートとかわからんよ。
写真がわからないということは何だろうか?アート展に行ってもわからないということはどういう意味なのだろうか?
さあ、感じてみようじゃないか!覗いてみようよ、今何を思っているのかを、自分の心の中を。
それがアートを楽しむ術
今何を思いどう感じるのか?それがこのアートと対峙した自分の答え、自分だけの答え。それでいいよ、多分ね。
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