損も得もない世界が好き。ずっと傷ついていたこと。
何も持たないわたしに何かしてくれる人がいる。
何も持たない最強!って言ったりしている私。
肩書きもないし、私によくしてくれても誰かが忖度していいことが起きるなんてことは100%あり得ません。
それでも私によくしてくれる人たちの存在がある。なんて尊いの!
インフルエンサーならまだしも、私なんぞに。
この日は久々にあるお店を訪ねた。美味しいご飯屋さん。
外見は高級とは言い難い、町のお店。清潔ではあるけど、乱雑で水だって自分で注いだり、その水も自宅の冷蔵庫にあるのと同じような容器に入っている。ここのメニュー味は抜群!
外見に拘らない ←ここ重要!美味しいもの好きな人に自信を持って勧められる!
この日は羊の脳味噌のカレーとチキンビリヤニを注文!


グルメな友人も大満足!
お支払いを済ませて目的地へ向かう私たち。
すると私の電話が鳴った。
オーナーからだった。
なんで電話してきてくれなかったの?次来るときは絶対電話してね!支払いとかしなくていいから。君からお金もらうとかダメ。お世話になったんだからさ。絶対だよ。
フォロワー数も大していない、口コミもできない、なんの影響力もない私だからここには何の得もないのに、ここまで言ってくれる人がいる幸せ。
美味しいお店でタダで食べれるということではなく、肩書きとかそういうのじゃなく、”私自身”に対しての行為。
そう思えるようになるにももちろんプロセスがあった。
わたし自身のことで言えば
ある財界人ジュニアのパーティで、わたしはこの主催者と子供の頃からの友人だった。それを知らない彼の肩書きに群がる人たちに値踏みされるように上から下まで見られ”女性”としての外見をジャッジされたし、その後主催者とかなり親しいと気づいて態度が変わった。中身ではなく、誰の友達かとか外見とかでわたしの人となりがランキングされるんだなーと思った事件だった。
別のことでは今まで仕事で素晴らしい肩書き、学歴、財産のある人たちに会ってきた。
色んな人が色んなものをくれて、色んな人を紹介してくれる。その時彼らに発生する悩み
肩書き宛?それとも自分宛?寄付(お金)が欲しい?
中身ではなく、その人の持っているものに利益があるかどうかでジャッジされる。持っているものもその人の中身の一部ではあるのだけど。
そういうのがほとほと嫌になっていた。外見とか性別とはそこはわたしを構成する一部だけどわたしの本質ではないのに。そう思うことが多々ある。
女の子なのにすごいねー。
とか。言ってる人は悪気なくむしろ褒め言葉と思っているがわたしはずっと傷ついてきた。そうだ、傷ついていたんだ。この文章を書いてからこの違和感は嫌って気持ちと傷ついてきたんだって思い出した。きっと傷ついた気持ちを蓋をしていたんだ。
もう蓋を開けよう。手当しよう。
性別とか国籍とか関係なく付き合ってくれる人がいるという事実を大切にしよう。
いつもありがとう。
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