孤独について考える
今まで”孤独”はわたしには縁のないものだと思っていた。
一人でいる時間は一人ではあるが”孤独”とは異なるものと思っていたからだ。
孤独は人を熟成させる
大人の友人にそう言われたけど、本当の孤独はそうじゃないと思っていたし、一人で自分と対話する、内省することが熟成につながると信じていた。
ガザ出身の友人、ムハンマド。わたしは彼とインドで出会った。その数年後彼はヨーロッパ某国で難民申請をし、受理された。
難民となった彼は希望を失いかけていた。仕事もない、挨拶しても無視される、自分の存在価値・・・孤独だった。 結婚・家族・難民 | 独立メディア塾 パレスチナでも自由恋愛の末、結婚する人もいるがいまも親の設定したお見合いで相手を決める人も多い。| 菅 梓 mediajuku.com
彼に会いに行くと孤独についての中身を吐露した。
わたしはこれが本物の孤独だと思った。孤独ゆえの苦悩を聞いたからだ。わたしには経験したことのない状況で環境。

それから時がたった今年、2020年。
多くの人が孤独に陥ったと思う。ソーシャルディスタンス。それでもわたしは孤独を感じなかった。
いつもと変わらないから。家で一人で本を読み映画を観て食事をする。
外に飲みに行くことがなくなっただけ。それだけのこと。なのにそれがどうして孤独なの?と思った。前半戦。
その後、わかったこと。
孤独は誰の中にもある。わたしの中にも。
孤独は一人でいることだけを指しているわけではない。存在そのものを消されていることが孤独なのではないか?
君はそんな人じゃないよ
この言葉はわたしに孤独を感じさせた。
そのままの自分を受け入れてほしいというのとは少し違う。
君のそんなところはダメだよね
だめな部分があるその存在、”ある”ということ。
わたしは存在しているんです。受け入れなくていいから、存在している事実を消さないでください。
ただそれだけ。
続く。